2012年5月19日 (土)

カナダ料理

 職場の近くに「カナディアンハウス」という名の喫茶店がある。
 建物はログハウス風で、その外観に合わせた店名なのだろう。かなり昔からある店らしいので、できた当時はとってもオシャレなスポットだったに違いない。入ったことはないのだが、近所の年配の方々の憩いの場として活用されているようだ。

 ある日、職場の上司が20代男子を昼ごはんに誘っているのを何気なく耳にした。
 「カナディアンハウスのランチ、ボリュームがあってお得だぞ。今日行くか?」
 「カナディアンハウス・・・カナダ料理の店ですか?」
 
 笑いをこらえるのに苦労した。ところで、カナダ料理って・・・何だろう。メープルシロップ?

2012年3月18日 (日)

ネット断食

 という言葉はあとで知ったのだが、今年に入ってから「平日の夜は原則としてPCを立ち上げない」ことにしてみた。だらだらネットサーフィンをしてしまい、無為な時間を過ごしてしまった・・・と後悔する事が多かったので、そもそもPCの電源を入れなければいいんじゃない?と思って始めたもの。
 ネット断食自体は快適で、新聞を読んだり早めに寝たりできて当初の目論見のとおりなのだが、今見たら、このブログも1ヶ月前に更新したきりだった。まぁ更新しなくても誰も困らないのだが・・・。

2012年2月12日 (日)

炊飯器を買い替える(予定)

 我が家の炊飯器、炊き始めに妙な音がするようになった。
 とは言っても、炊き上がりは今までと変わらないし、時間が余計にかかるわけでもない。朝炊き上がるようにタイマーをセットしておけば、この異音も耳にしなくてよい。
 しかし、「異音と同時に変な電磁波が出てるかもしれない」と夫は買い替えに積極的である。
 表示を見ると「99年製」の文字。干支一回りしている。内釜にも2、3箇所傷がある。「さすがに買い替えてもいいかもね」と言うと、夫は早速炊飯器の選定に入った。
 選定の結果、彼が第一候補に上げたのが「内釜に南部鉄器を使用」したというZ印のもの。「鉄器」・・・聞くからに重そうだ。
 米と水を入れて釜をよいしょと持ち上げ、あ、内釜の底が濡れてるから拭かなきゃと釜を片手で支えつつ、もう一方の手を布巾に伸ばした瞬間、米と水を床にぶちまける自分を思い描くとぞっとする。こぼした米を拾いきれるだろうか・・・というか、釜をいったんどこかに置いて布巾を取れば決して起こらない事故なのですけどね。


 とりあえず、店頭で重さを近々確認してみることにした。しかし、どこのメーカーも「おいしいご飯が炊ける」「ふっくらもちもち」云々という宣伝文句が踊るが、今時の炊飯器ならどれもそこそこおいしく炊けるんじゃないだろうか。それとも、99年からこの10年ちょっとの間に、炊飯技術が格段に進歩したのか。結局は米の質と水の加減次第なのでは?と思うのだが。この問題については、新しい炊飯器と従来型炊飯器で炊き比べて検証しなければいけない。
 私は今の炊飯器でも、炊きたてのご飯は十分おいしいと思うのだが、夫は「そうかな。旅館で出てくるピカピカの白いご飯の方がおいしい」と言う。
 我が家が「ピカピカで白いご飯」でないのは私の趣味で米を五分搗きにしていることが原因で、炊飯器を買い替えても白米にしない限り、その点はあまり変化がない・・・かもしれない。


 

2012年1月15日 (日)

トリエンナーレ・ディ・ミラノのデザインカフェ

 イタリア旅行中に足を運んだ唯一の美術館(的なもの)がミラノにある「トリエンナーレ・ディ・ミラノ」。しかもお目当ては展示ではなく、入場料なしで誰でも入れる「デザインカフェ」という館内のカフェ。
 玄関を入ると、壁、高い天井、全て真っ白な開放的な空間が広がる。まっすぐ進んだ正面、少し階段を上ったところに、目指すカフェはあった。明るく広々とした空間。「わぁオシャレー」とワクワク。昼時で混んでいたが、運良く席が空いていた。


 しかし、持ってこられたメニューを見てヤバイと思った。イタリア語オンリーなのである。

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2012年1月 9日 (月)

ジョギング

「新春マラソン」に初参加した。「マラソン」と言ってもわずか3kmのコースだが、こんなにまとまった距離を走るのは高校の持久走以来。

走ることに全く興味はなかったが、昨年の12月初め頃、成り行きで冒頭の新春マラソンに出ることになった。いきなり本番で3km走るのは絶対無理だと思ったので、ある週末の朝、近所を少し走ってみた。
10分ほど走ると体が温まってくる。歩いたり自転車に乗ったりするよりも格段に温かい。ちょうど寒さが本格的になり始めた頃だったから、自分で発熱して温かくなるのはとても気分がよかった。20分も走ろうものなら、この寒さの中汗が出る。これまた爽快。そして何よりも意外だったのは、「走っていると楽しい」という感覚だった。
というわけで週末だけ、しかも超スローペースな何回かのジョギングを経て、無事に3km完走した。今年はジョギングに結構はまるかも。

ところで、年末にイタリアを旅行し「1週間で3kg太る」を目標にするくらいの勢いで、食べた。
ハムとチーズ、そしてイタリアの朝食に不可欠な甘いパンは、普段自分が摂取する1年分以上の量を食べた自信がある。どれもおいしくて、全く食べ飽きない。たかが1週間だから飽きる前に帰ってきてしまっただけなのだが。
そして今・・・お正月のイレギュラーな食生活も手伝って、着実にその成果が出始めている。わは!
そういう意味でも、ジョギングに出会ってよかったなぁと思っている。

Firenze01

↑快晴のフィレンツェ。

2011年12月18日 (日)

「光陰矢のごとし」を感じる時

自分では「ほんの1、2週間前に冷凍したばかり」と思っていた肉を冷凍庫から出したら、日付が10月だった。あれから2ヶ月もたっていたのか・・・。

来年のほぼ日手帳を買いに行ったら、レジ待ちの行列がディズニーランド並になっていた。もうすぐクリスマスですね。

2011年12月 4日 (日)

タイツに穴が

 買ったばかりの毛混のタイツを履いて外出した。さすがに分厚くて暖かい。この冬は活躍しそうだなと思いながら帰宅して靴を脱いだらびっくり。右足親指があたる部分に、早くも穴が!!!!なんで?足の爪は昨日切ったばかりなのに、トホホ。2~3kmぶっ続けで歩いていたからだろうか。
 それにしても、一発で破れるとは。よくある「80デニール2足パックで980円」とかのタイツよりはるかに高いのに・・・。
 もちろん黒い糸で繕います。今度はあまり長距離を歩かないようにしよう。

2011年11月30日 (水)

明日から師走

 コートもマフラーも要らない気温だけれど、明日から12月。11月はどんな月だったかと手帳をめくってみれば、結構あちこち移動していたことに今気づく。今日も新幹線で移動した。

 気づいたのが、「窓側と通路側があいていたら通路側に座る人が多い」こと。それと、「車内の棚の上にバッグを載せる人ってほとんどいない」ということ。キャリーバッグのような大きな荷物でも、足元に置いている人がほとんどだ。今日ぼんやり見ていたら、キャリーバッグを棚に載せたのは背の高い欧米系のビジネスマンだけ。他は(主に女性)、キャリーバッグと座席の間に足を納めて窮屈そう。キャリーバッグを持ち上げるのも重いし、たとえ重くなくても他人の頭上に荷物を上げ下げする作業も何となく煩わしいし、それだったらちょっと窮屈なのは我慢しようというところだろうか。などと勝手に想像。

 新幹線の運転手は、運転中はトイレにも行けないし、暗算で時速を計算して速度を調節している・・・などという話を最近新聞で読んだばかりだったので、定刻に発着し無事故だったことを当たり前に思うけれど、大変な力に支えられていることを忘れてはいけないなと思いながら帰ってきた。

2011年11月21日 (月)

毛糸のパンツ

 「腹巻と一体になった毛糸のパンツ(ハラパン)」が人気らしい。ネットで検索するとカラフルなかわいいハラパンの画像がたくさん出てくる。
 実はこの夏、押入れからハラパンを発掘した。今風なカワイイ柄のものではない。20年位前、一瞬だけバレエの稽古に通っていた時に買ったものだ。胸の下まで届くような超ハイウエストの、無地のニットショートパンツ。前屈して指先すら床に届かないような実力だったので、こっぱずかしくて稽古で身につけた記憶はない。しかし、カシュクールやロングパンツではなく、なぜあえてショートパンツ?全くもって、買った理由は謎である。
 真夏の暑いときに見つけたので、見るだけでも暑苦しく、捨ててしまうつもりだった。しかしタイミングを逸していた。寒くなってきてふと思い出してはいてみた。ものすごくあたたかい。家にいる時は手放せない。
 着ない衣類の類は、「いつか着るかも」ととっておいても、結局着る機会はほとんど訪れないものだが、これに関しては嬉しい例外。

2011年11月12日 (土)

マンボウ

111112

 北杜夫氏の訃報に接して、「どくとるマンボウ」シリーズを読み返したくなった人は日本中にたくさんいると思う。私もそのひとりで、「どくとるマンボウ」と「楡家の人びと(上)(下)」を持っていたはずだなと思い、実家から発掘してきた。「マンボウ」が昭和60年47刷、「楡家」が同年29刷、3冊とも新潮文庫。「マンボウ」がとても面白くて、「楡家」を買った記憶はあるのだが、話の内容はどちらも綺麗さっぱり忘れている。さて読み返してみるかとページをめくって驚いた。
 字の小ささが半端ではない。
 1ページに43文字17行。同じ新潮文庫で平成18年に出版されたものは、38文字16行。数だけ見ると、1行につき5文字、1ページにつき1行増えているだけだが、最近のものは余白が狭くなっていることもあり、一文字の大きさは随分違う。「楡家」の方は、今出版されている文庫だと3分冊のようだ。
 この3冊、紙のやけ具合も、ホコリっぽいにおいも、そしてこの活字の小ささも、立派に古書である。四半世紀前の自分が読んでいた本が、見かけは古くなったにしても、中身はそのままに目の前にあると思うと、なんだか感慨深い。昔、父親が学生時代に読んでいた文庫本を本棚で発見した時と同じような気持になった。
 ありがたいことに、まだ小さい字が見えないという現象は起きていないので読むのに支障はないのだが、それにしてもこれだけ小さいと、早く読まねば・・・と妙に焦ってしまう。


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